日本のマンドリン音楽

日本のマンドリン黎明期 

 日本にマンドリンが伝えられたのは、1894年に明治を代表する近代邦楽の作詞・作曲家である四竈訥治(しかまとつじ)がイギリス人にマンドリンを贈られ 演奏したのが最初といわれている。1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に師 事し、マンドリンを演奏していたことが知られている。明治末から大正時代にマンドリン合奏団体が増加し、第一ピークとなった。慶應義塾マンドリンクラブは 明治43年(1910年)の創立である。

ヨーロッパの衰退と日本の隆盛
 ヨーロッパはマンドリンの盛んだったイタリアやドイツが第一次、第二次大戦で敗戦国となった結果、マンドリン音楽も衰退してしまった。日本では戦後の団塊 世代が学生となる1960年代から70年代に大学のマンドリンクラブを主体とした再度の隆盛期を迎えた。その後減少したが、2000年頃からは団塊の世代 を中心とした社会人マンドリンサークルやマンドリン人口が増加している。多くは学生時代にやっていた人たちが第二の人生での楽しみとしてサークル活動に参 加している。マンドリン音楽は現在でもアマチュア音楽家の間で広く親しまれている。

マンドリンの音楽書

 オーケストラや吹奏楽用、合唱用には和声学、対位法、指揮法など音楽の専門書が多く出版されているが、マンドリン関係では初心者向けの教則本、ギター伴奏の曲集、一部の編曲集などが出版されている程度である。一般的な教則本であるオデルの「上級編」は2005年に絶版となったが、最近復活しているのは必要とする奏者が増えたと言うことだろう。
 オデルやムニエルの教則本は出版が1900年前後だからロマン派の曲には良いようだが、初級本の内容は半分ぐらいがハ長調で、あとは#3つ、♭は1つのヘ長調まで。ポジションは第1ポジションのみ、と初心者向きとなっている。これはピアノでのバイエル教則本と同様といえる。合奏に参加するにはオデルでいえば3巻まで終了している事は必要だろう。最近の曲はポピュラー曲でもリズムやコードは複雑になっていて、オデルを学んだだけでは新しい曲では戸惑うことが多いと思われる。

 横浜マンドリン倶楽部時代から指揮者をやっていてその後、横浜交響楽団を創立した小舟幸次郎が「ギター和声学」を昭和40年(1965年)に全音楽譜から出版しているのが知られ、マンドリンアンサンブルではギターがあるので親しみやすいといえるが、残念ながら絶版となっている。また、今日ではマンドリン合奏に関する指導書の類も見ないし、マンドリンオーケストラの管弦楽法について書かれたものはオデルの「マンドリンオーケストラ」が1913年に発行されたようだが、一般には見かけない。

マンドリンの教則本

 左はOLIVER DITSON社発行 Herbert Forest Odell 編のオデルマンドリン教則本 64P

 右は全音出版社発行 伊藤翁介編のオデルマンドリン教則本 87ページ

伊藤翁介によれば「本書は出来るだけ原著に忠実に、しかも平易に訳すように心がけましたが、明らかな誤植と思われる個所だけは修正しました。尚、音楽の基本的原則(楽典)の項は原著の説明が不充分と思われますので、相当に補足いたしました」とある。

マンドリンの研究論文

 武井守成など大正時代のマンドリン関係者による研究を初め、1910年以来という歴史のある同志社大学などがマンドリンの研究論文を集めているが、一般 的に広まってはいない。マンドリン作曲家の甲田弘志が長年にわたって考えてこられたマンドリンオーケストレーションの一部をWeb上にMOM(マンドリン オーケストレーションメソッド)として、言及している。また成城大学の久松祥三が昭和57年に卒業論文として公開しているのがある。名古屋音楽大学や順心 女子学園、東京音楽学院などにマンドリンのコースがあるが(2012年現在)、これらは個人演奏が主体となっているようだ。