日本のマンドリン音楽

日本のマンドリン黎明期 

 日本にマンドリンが伝えられたのは、明治を代表する近代邦楽の作詞・作曲家である四竈訥治(しかまとつじ)がイギリス人にマンドリンを贈られ 演奏したのが最初といわれている。彼は1859年(安政6年)仙台に生まれ、東京に出て音楽取調掛の伝習生となっている。1894年、日清戦争開戦直後の9月に弥生館で開催された義勇奉公報国音楽会で四竈父娘それに女性3人がマンドリン、ヴァイオリン、ハープの編成で「八千代獅子」を演奏した。この時のマンドリン、ヴァイオリン、ハープのトリオを「仙花楽」と名付けている。

 1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し指導者となって普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に師 事し、マンドリンを演奏していたことが知られている。娘の比留間きぬ子もマンドリン奏者として多くの人に教育を施した。

マンドリン合奏団の設立

 明治末から大正時代にマンドリン合奏団体が増加し、第一ピークとなった。慶應義塾マンドリンクラブは 明治43年(1910年)の創立である。大正4年(1915年)萩原朔太郎が前橋で結成した「ゴンドラ洋楽会」は「上毛マンドリン倶楽部」に発展し、戦後の「群馬交響楽団」誕生の母体ともなった。宮内省楽部長だった武井守成がマンドリンの楽団を創設したのも同じく大正4年。その翌年、シンフォニア・マンドリニ・オルケストラと称し、大正12年にはオルケスタ・シンフォニカ・タケヰと改称。また仙台市の仙台マンドリンクラブの前身でアルモニアというマンドリン合奏団が澤口忠左衛門により大正12年(1923年)に創立されている。同じく大正12年明治大学マンドリン倶楽部設立。

 なお、1918年(大正7年)6月1日に日本で最初にベートーベンの第9が演奏されたことで有名な徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所内にモルトレヒト・マンドリン楽団があり、1917年(大正6年)5月26日に第1回コンサートを開催している。

西洋音楽教育の始まり

 西洋音楽をベースとした音楽教育の始まったのは文部省の音楽教育機関である音楽取調掛が1879年(明治12年)に設立されてからであり、当初は唱歌教育が主体であった。ヴァイオリンは、1880年(明治13年)音楽取調掛の教師として来日したアメリカ人ルーサー・ホワイティング・メーソンが日本人に教えたのが最初といわれている。

 1915年(大正4年)頃にドイツ留学から戻った山田耕筰が音楽鑑賞サークル「東京フィルハーモニー協会」を設立し、演奏者を集めて管弦楽合奏を始めた。1924年(大正13年)にはヨーロッパ留学から戻った近衛秀麿の協力を得て「日本交響楽協会」を設立。 翌25年に近衛秀麿指揮で「運命」を演奏している。このように日本における西洋音楽はマンドリンが先行したといえる。

 四竈訥治の6女四竈清子(1903-1965)もマンドリンを弾き、1931年にコロンビアから発売されたSPレコードの「トラバトーレ」(Verdi作曲)を国立図書館デジタル音源で聞くことができる。

ヨーロッパの衰退と日本の隆盛
 ヨーロッパはマンドリンの盛んだったイタリアやドイツが第一次、第二次大戦で経済的に疲弊した結果、マンドリン音楽も衰退してしまった。日本では戦後の団塊 世代が学生となる1960年代から70年代に大学のマンドリンクラブを主体とした再度の隆盛期を迎えた。これに対応して鈴木静一、服部正、大栗裕らが新たな作曲活動を行ない、大学では慶応の服部正、明治の古賀政男、日大の宮田俊一郎、同志社の中野二郎などがマンドリン合奏の指導者として活躍した。1970年代は日本のマンドリン合奏第2の隆盛期といえる。

 その後減少したが、2000年頃からは団塊の世代 を中心とした社会人マンドリンサークルやマンドリン人口が増加している。多くは学生時代にやっていた人たちが第二の人生での楽しみとしてサークル活動に参 加していて、マンドリン音楽は現在でもアマチュア音楽家の間で広く親しまれている。(写真左はカラーチェ来日時のオルケストラシンフォニカタケヰ、右は日本で初めてマンドリンを製造販売した鈴木マンドリンの広告)

マンドリンの音楽書

 オーケストラや吹奏楽用、合唱用には和声学、対位法、指揮法など音楽の専門書が多く出版されているが、マンドリン関係では初心者向けの教則本、ギター伴奏の曲集、一部の編曲集などが出版されている程度である。一般的な教則本であるオデルの「上級編」は2005年に絶版となったが、最近復活しているのは必要とする奏者が増えたと言うことだろう。
 オデルやムニエルの教則本は出版が1900年前後だからロマン派の曲には良いようだが、初級本の内容は半分ぐらいがハ長調で、あとは#3つ、♭は1つのヘ長調まで。ポジションは第1ポジションのみ、と初心者向きとなっている。これはピアノでのバイエル教則本と同様といえる。合奏に参加するにはオデルでいえば3巻まで終了している事は必要だろう。最近の曲はポピュラー曲でもリズムやコードは複雑になっていて、オデルを学んだだけでは新しい曲では戸惑うことが多いと思われる。ムニエルの教則本はあまり一般化していない。これはオデルに比較して難易度が高いためと思われる。

 横浜マンドリン倶楽部時代から指揮者をやっていてその後、横浜交響楽団を創立した小舟幸次郎が「ギター和声学」を昭和40年(1965年)に全音楽譜から出版しているのが知られ、マンドリンアンサンブルではギターがあるので親しみやすいといえるが、残念ながら絶版となっている。また、今日ではマンドリン合奏に関する指導書の類も見ないし、マンドリンオーケストラの管弦楽法について書かれたものはオデルの「マンドリンオーケストラ」が1913年に発行されたようだが、一般には見かけない。

マンドリンの教則本

 左はOLIVER DITSON社発行 Herbert Forest Odell 編のオデルマンドリン教則本 64P

 右は全音出版社発行 伊藤翁介編のオデルマンドリン教則本 87ページ

伊藤翁介によれば「本書は出来るだけ原著に忠実に、しかも平易に訳すように心がけましたが、明らかな誤植と思われる個所だけは修正しました。尚、音楽の基本的原則(楽典)の項は原著の説明が不充分と思われますので、相当に補足いたしました」とある。

マンドリンの研究論文

 武井守成など大正時代のマンドリン関係者による研究を初め、1910年以来という歴史のある同志社大学などがマンドリンの研究論文を集めているが、一般 的に広まってはいない。マンドリン作曲家の甲田弘志が長年にわたって考えてこられたマンドリンオーケストレーションの一部をWeb上にMOM(マンドリン オーケストレーションメソッド)として、言及している。また成城大学の久松祥三が昭和57年に卒業論文として公開しているのがある。名古屋音楽大学や順心 女子学園、東京音楽学院などにマンドリンのコースがあるが(2012年現在)、これらは個人演奏が主体となっているようだ。

マンドリンの楽譜

 マンドリンの古典的合奏や独奏曲の楽譜ではオザキ譜庫と中野譜庫 が知られている。

【オザキ譜庫】

  京都市在住の医師尾崎信之が長年にわたり蒐集された約7,000曲のマンドリン楽譜。オザキ譜庫管理委員会が蔵譜を整理し、フレット楽器ヤマサキ(大阪市)が保管している。マンドリン愛好者の利用に供するため「オザキ譜庫」として公開している。

【中野譜庫 】

 マンドリン楽譜約9,200点、ギター楽譜約9,800点、関連図書・雑誌、その他. 名古屋の音楽家中野二郎(1902(明治35)- 2000(平成12))のコレクションを、同志社大学図書館に寄贈されたもの。2008年度末までは自由にコピーできたが、それ以降「閲覧のみ/複写禁止」に制限されている。ただし、2018年夏からはフィオレンティーノのホームページにて著作権の切れた楽譜をデジタル公開し、ダウンロード出来るようになっている。2018年6月現在一部だが、2019年夏には完成予定となっている。http://vinaccia.jp/nj-collect/