演奏者と聴衆、演奏会場

コンサートは演奏者と聴衆の関係性で雰囲気や気構えが決まるといわれるが、現在の演奏会には様々な形態がある。

 演奏者の服装に関して、ドイツのオーケストラには共通規定があり、女性に関しては次のようになっている。

・黒ないし濃紺の最低膝丈のドレス、黒ないし濃紺のパンツスーツ。それに適したジャケットはズボンと同じ素材であること。

・黒い靴 ・黒いストッキング

 日本でもクラシックの演奏会で演奏者の服装は上下黒が多い。また、ソリストを除いて光り物は身につけない。マンドリンでもオリジナルやクラシック音楽を主に演奏する団体は上下黒が多い。これは演奏に集中するためという。しかし、こういった服装が決まったのは18世紀のイギリス。当時は産業革命後でロンドンは煤煙がひどかった。このため男子の服装はy汚れが目立たないという実用性から黒の燕尾服になった。また、靴はエナメルに決められている。ヨーロッパで夜間のフォーマルなパーティーではワルツなどのダンスを踊る。女性はロングドレスであり、裾を汚さないためにエナメル靴を履くのが理由だそうだ。

 観客の服装を見るとオペラ鑑賞ではドレスや和服など着飾った人、歌舞伎では和服が多い。

 一般にクラシックの演奏会では鑑賞のためのマナーが色々と言われている。

携帯電話は電源オフに、音の出るモノ(下駄や大きな飾りなど)は禁止、入場は曲の間で、撮影録音禁止、飲食禁止、子供入場禁止など。鑑賞マナーもいろいろあるようだ。演奏が良かったら拍手をするのが自然だが、演奏が終ってすぐにブラボート叫んだり、拍手をする人。楽章の途中で拍手をして恥ずかしい思いをする人もいる。これらはマナー違反と言われる。

 映画では観客席でポップコーンなどを食べながら鑑賞するのも一般的となっている。また、ポピュラーな演奏会(ライブ)では演奏者とともに聴衆も一斉にパフォーマンスを行うことも多く、かけ声も掛ける。『ボヘミアン・ラプソディ』で有名な英国のロックバンド「クイーン」は1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたアフリカ難民救済のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド(LIVE AID)」で7万人以上の観客と一緒に歌ったり足を踏み鳴らして演奏した。2018年の映画では「応援上映」として観客が字幕の歌詞を見ながら一緒に歌ったり騒いだりできる観客参加型の上映会が行われた。

日本とヨーロッパの観劇や音楽会の違い

 江戸時代の歌舞伎は夜明けから日没までやっていた。途中の幕間(まくあい)で食べるのが幕の内弁当。当然ながら途中トイレにも行くし、見せ場だけ見る人もいたそうだ。それは出し物の時代背景や場所などの「世界」をほとんどの人が知っていたからだという。ひいきの役者が出たり、いいと思った場面では声も掛けた。今のように「大向こうの会の人」のように掛け声専門のような人がいたわけではない。感激したら「やんやの喝采」というのが本来だろう。江戸に常設の芝居小屋ができたのは1624年。江戸四座が認められたのは1670年頃、荒事芸で有名な初代市川團十郎は1660年生まれと、17世紀に歌舞伎は庶民の楽しみとなっていた。テーマも町人社会の義理や人情、世間を騒がしたスキャンダルや事件が早々に舞台化していた。しかし1965年に重要無形文化財に指定されてから敷居が高くなったようだ。

  最近は本来の大衆娯楽の原点回帰を目指す動きもあり、初音ミクとの共演、ライブハウスでのオフシアター歌舞伎などにも取り組んでいる。

 能は室町時代から庶民の楽しみだったが、江戸時代に幕府の式楽となり、舞台で演じられる能は武家対象のものとなった。しかし日本の芸能は本来一般庶民がベースのようだ。

 一方ヨーロッパのオペラは18世紀以前は基本的に王侯貴族の楽しみであり、一般庶民が行くことはなかった。また19世紀前半に庶民オペラが出来た。このときのグランドオペラは5幕ものが多く、途中にバレエが入ったりして全体で5,6時間はかかっていた。このときも資産家や経営者など裕福な人達の楽しみであった。なお、オペラはその90%が不倫をテーマとしている。貴族階級は時間とお金に余裕があるのでゴシップや不倫が起きやすかったのだろう。マンドリンも19世紀末から20世紀にかけてイタリアのマルゲリータ皇后の庇護で発展したことが知られている。

 オペラ以外の音楽でもベートーベン以前は貴族をパトロンとしていた。コンサート形式は19世紀に入って貴族に対抗した市民が作ってきたものでオーケストラや劇場は19世紀末に出来たものが多い。しかしそこもブルジョワ、金融貴族と言われる富裕層の音楽であった。20世紀のドイツではヒットラーの音楽好きも有名だ、ワーグナーやレハールは彼のお気に入りであり、ヒットラーはベルリン・フィルハーモニーやバイロイト音楽祭を経済的に援助した。

マクドナルドラジオ大学の高山明氏の話

(東京新聞2019年5月4日)

 演劇を意味する「シアター」の語源はギリシャ語の「テアトロン」。元来「舞台」ではなく「客席」を意味した。日本語の「芝居」も「芝」、つまり客席にいることを指した。俳優と観客が舞台の上と下に分かたれず、同じ身振りを共有する。

 近代に西欧で生まれ世界に広がった劇場は、19世紀ドイツの芸術家、リヒャルト・ワーグナーの設計をモデルとする。舞台に奥行きを設けて客席の電気を消し、オーケストラを客の視界から遠ざけることで、観客の視線を一つの軸に集中させ、没入を促す。ヒトラーはこの没入感をナチス党大会の演出の模範とした。

 こうしたワーグナー式の劇場は、役者と観客を送り手と受け手に二分してしまう。これに対し、二十世紀ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトは没入を嫌い、観客にリラックスを呼びかけた。時には、ナチスに親を殺された役者にナチスの将校役をやらせ、その葛藤を通じて、役者と役の距離を観客が解釈するよう求めるような試みもした。

 高山はブレヒトの手法を受け継ぎ、製作者が込めたメッセージを観客が受け身で感じ取るという従来型の劇場モデルに対抗する。

ワインヤード(ヴィンヤード)形式のホール

 中央にあるステージを客席が取り囲むワインヤード形式のホールはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリンのホールが、そのさきがけといえ、1963年に開館した。サントリーホールも同様のコンセプトによって設計され1986年に開館、2007年にリニューアルオープンしている。ミューザ川崎シンフォニーホールもこの形式を受け継いで2004年7月に開館している。(上西建築都市設計事務所のエッセイより)

建築家シャロウンのコンセプト

 ベルリンフィルハーモニーの新しい音楽堂は、常任指揮者になって数年しかたっていないカラヤンにとって、これから自分の時代をつくっていくという時点で計画されたものだった。設計者のシャロウンは、そのホール設計のコンセプトについて、以下のように述べている。

 音楽が焦点となる。これが最初からの基本方針である。主となるべきこの考えは、ベルリンの新しいフィルハーモニーのホールに形を与えるだけでなく、建物全体の計画の中で、最も優先されるべきことである。オーケストラと指揮者は空間的にも視覚的にも中心に位置する。数学上の中心ではなかったとしても、彼らは聴衆によって完全に囲まれるのである。ここでは、「作り手」と「受け手」の分離はなく、最も自然な座席配置でオーケストラのまわりにグルーピングされた聴衆のコミュニティを見出すであろう。ホールは、その大きさにもかかわらず、親密さを持ち、直接的で共に音楽を創り出す雰囲気を共有することができる。ここで音楽の創造と経験は、形の美学によってつくりだされるのではなく、仕えるべきその目的から導き出されるのである。人間と音楽と空間が新しい関係のなかで集合するのである。

 シューボックス型のホールに見られるように演奏者と聴衆のかたまりが向き合って対峙するのではなく、聴衆が自然と演奏者を取り囲む関係を建築化した。ホールは内部空間の要求をベースとして、内から外へと設計されなければならないと考えられていた。そのテントのような屋根の形態からフィルハーモニーは、「カラヤン・サーカス」と呼ばれていた。

カラヤンの評価

 コンペが行われた時に、カラヤンが審査委員会に対して送った書簡は次の通りであった。

 応募作品のなかで、特に抜きん出た作品が一点ある。演奏者を中央に配することを原則とした設計である。(作品番号は忘れたが、全体が白く座席の部分が金色の模型だ)。この設計はいくつかの点で優秀と思われる。壁面の配置が音響的に優れている上に、何より印象的なのは聴き手が音楽に完全に集中できる点だ。現存するホールの中で、この設計ほど客席の問題を巧みに解決している例を、私は知らない。私も補佐役のヴィンケルも、オーケストラを中央に配するこの設計は、いかなる既存のホールにもまして、ベルリン・フィルハーモニーの音楽スタイルにふさわしいと考える。このオーケストラの第一の特徴は遠くまで届く音と、音楽のフレーズの初めと終わりにおける特別な呼吸にある。したがってこの設計は、本番にもリハーサルにも理想的な場を生みだすことだろう。

ステージアラウンド

 東京豊洲に2017年3月にオープンした「IHIステージアラウンド東京」は巨大な円盤状の客席が回転し、その回りをステージが取り囲む。舞台は幕が下りたり暗転することがなくストーリーは途切れない。

 ここでは「劇団☆新感線」が14ヶ月にわたり連続上演され70万人を動員している。2019年8月から「ウェスト・サイド・ストーリー」が新制作バージョンで公演される。演出のデイヴィッド・セイントは次のように語っている。「『女王陛下の戦士』を観劇したアムステルダム、そして東京のステージアラウンドでの、圧倒的なドラマ展開、その驚くべき体験に私はノックアウトされてしまいました!この没入感は、やはり直接来場して観劇していただかなければなりませんが、あえていえば、演劇と映画の環境が融合したことで体験できるスペクタクルといえるでしょう」ステージアラウンドの形式はワインヤードの逆といえるだろう。