休符

 休符は音のある音符に対して音のない部分であり、四分休符、八分休符などにより音のない部分の長さを表している。ただし、実際の音楽演奏において休符は“息継ぎ・呼吸”や、“息の止め”なので、休憩ではない。音楽を聴く人は休符を直接意識しないが、休符の取り方で音楽の印象は変わる。楽曲の繰り返しの前の休符(タメ)のとりかた、楽曲の最後に書かれてある休符の長さや途中の音譜の止めは単に物理的に音を無くすのではなく音楽的な意味を考え、表現するとよい。
 16分休符が多く書かれた楽譜の意図は「生き生きと弾いて欲しい」などと考えられる。音楽の途中での休符には何らかの意味がある。バッハの曲にあらわれる突然の中断は、死や罪をあらわすなどとも言われていて、休符の表現、休符の時の感情表現や表情も大切だ。


 明治大正期のマンドリン作曲家である武井守成は次のように語っている「自己のパートが休止に入ったときに,自己の仕事が休止されていると考える奏者は自己のパートの譜だけをひいているもので曲を演奏する分子として価値がない.休止符は音を出さずして心でひくときである.なぜならば奏者は自己のパート譜を通じて全楽器から成り立つ曲をひくべきだからである」

 8小節や16小節など長い休符の時に、指揮者に「先にやっててください」というのでは合奏の緊張が崩れ、良い演奏は望めない。
曲が弱音(pピアノ)から始まる場合に曖昧な入り方をすることがある。合奏で極端な場合に1拍目を弾かずに「怖いから」と2、3拍目から入る人もいる。音符を勝手に休符にしてはいけない。 

 ピアノを指導している大竹道哉氏はレッスンで、曲の“入り”に緊張感が無くテンポも曖昧な場合に音の開始の前に休符を置き、それにf やクレッシェンドを書き加えて指導している。休符の弾き方を感じることで、手にも気持にも適度な緊張を生み出し、曲が引き締まるという。譜例はベートーヴェンのピアノソナタ第6番第1楽章。

  良く訓練されていないアンサンブル、オーケストラでは曲の最初の一拍目から音楽になっていない演奏を聞くことがある。指揮者のアインザッツに揃えるのが基本だが、更に音楽に入る1、2小節前から音楽のイメージを取り込んでおくことで曲の頭から音楽になる。

 前衛的な作曲で知られているジョン・ケージの4分33秒という3楽章の作品がある。これはピアノの作品と言うことになっているが、各楽章は音を出さない曲で、初演は1952年8月、米国ニューヨーク州のウッドストックで、ピアニスト、デイヴィッド・チューダーによって行われた。このとき、チューダーは、第1楽章を33秒、第2楽章を2分40秒、第3楽章を1分20秒で演奏し、その合計時間4分33秒であったことが、この曲の通称となっている。

フレージング

 曲の感情や作者の意図を表現するために、まずはレガートとノンレガート、スルタストとスルポンティチェロ、ポルタメント、ヴィブラート、ポジション選択、弦の選択、ピックの当て方などを含む音の出し方を有効に使った演奏を心がける。
それとともにフレージングを考えるのだが、撥弦楽器であるマンドリン族の表現力は人の声や擦弦楽器に比較して弱い。一音一音の表現とともに、楽曲全体の流れによる音楽表現をしなければいけない。日本人の演奏はマンドリンに限らず表現力が弱いため、少しオーバーかと思うくらいがいいだろう。

フレージングの基本

 フレージングの基本は、上昇する旋律はクレッシェンドしていき、下降する旋律はデクレッシェンドにする。最初の音は強めにし、最後の音を弱くする。などであり、練習のベースになるのは歌、もしくは演劇が参考になると思われる。劇団では基礎練習として、発声練習、早口言葉、表現力の訓練、身体能力強化などがあるが、音楽演奏でも似たようなことは多い。発声練習はスケール練習、早口言葉はアレグロの16分音符や32分音譜の練習といえる。発声や早口言葉がうまくても、棒読みでは大根役者となってしまう。
 戯曲の練習の初めに「台本分析」を行うが、ここではテーマや強調すべき事、時代背景やキャラクター分析などを行う。「読み合わせ」で表現を流れに合わせ、台詞や動作のきっかけ(タイミング)を練習する。

 

 古典的な楽曲では4小節単位を小楽節として1フレーズとなる事が多い。4小節1フレーズの場合、4小節目はやや長くなり、1小節目から3小節目は短い傾向となる。
順天堂大学医学部の東淳一氏による、-日本語リズムの揺れと音楽演奏テンポの揺れ2012年-によるベートーベンの交響曲7番2楽章の分析では1~3小節は1.8秒程度であるのに対し、4小節目は2.0秒程度に伸びていることが認められる。
 実際18世紀から19世紀のドイツ古典音楽においては音楽教科書などの解説にある、「2小節で動機、動機が2つ集まった4小節で小楽節を構成し、さらに小楽節が2つ集まって8小節の大楽節を形成する」ということが当てはまるが、これは欧米のシンメトリーを美しいとする感性に合っているのだと思われる。

 

 和歌は五七五七七となっている。五、七それぞれは音節であり、通常五、七の区切りで息を吸うことはない。上の句の五七五と下の句の七七の間では多めに止めたり、息を吸うこともあるだろう。上の句で最初の五と次の五七を分けることや下の句の七と七を多めに区切ることもある。これら音節を音楽ではスラー記号の一区切り。和歌全体または上の句と下の句はフレーズといえる。和歌を楽譜で考えると上の句が3小節の動機、下の句が2小節の動機、全体で4/4での5小節、1小楽節となる。俳句は4/4の3小節に当てはめられる。

 

フレーズの見極めと演奏法

 最近のマンドリン合奏の譜面ではスラー記号をフレーズとして書いているのが多いようだ。フレーズは旋律や楽曲の自然な区切りであり、途中に休符やいくつかのスラーの入ることがある。フレーズとしての長いスラー記号では通常のスラーが隠れてしまう。音の流れに対してスラーとフレーズは歌い方や話し方の区切りと同様に自然な流れに沿うようにしてほしい。楽譜に書かれている事はスラーに限らず、強弱やダイナミックなども全体的な流れや作曲者の意図を汲んで、適切な表現とするべきだろう。

 

 朗読では句読点を見つけることが生き生きとした話しの基本になる。日本語の遊びで「スモモモモモモモモノウチ」というのがある。そのままでは何のことか分かりにくいが「スモモも、桃も、桃のうち」となれば意味が通じる。笑い話で、電報の「カネオクレタノム」というのは「カネオクレ タノム(金送れ、頼む)」のつもりが「カネオクレタ ノム(金をくれた、飲む)」と受け取られてしまった、という話しだ。

 演奏において句読点(フレージング)を間違えると、意味が分からないのに言葉を話していることと同じで、聞いている人も分からなくなり、変なフレージングでは気持ちが悪く、フレージングの不明な演奏では眠くなる。楽譜に書いてあるスラーは道案内にはなるが、楽譜を歌いながら弾いてメロディーや音の流れを読み取って決めていくことが必要である。その時に楽譜に書いてある拍子や小節や音符の長さ、スラー(孤線)にもとらわれないのがよい。

 フレージングを考えない、また表現しないと落ち着かない、前のめりの演奏になりやすい。

 

 また、アーティキュレーションやフレージングに関連して小楽節と同様に微妙なテンポの揺れや溜めも出てくる。テンポやリズムは指示速度が書かれていたとしてもメトロノームのように均等に刻むのではなく、話し言葉や詩の朗読、歌などと同様に音楽の流れに合わせて自然に揺れるもので、均等な演奏(インテンポ)だけの演奏では昔のコンピューター音楽のような無機質な音列となってしまう。トレモロの回数を合わせようとする演奏があるが、テンポの揺れや速度変化に意識を向けにくい。
「インテンポ」という指定があっても楽曲によっては多少早くしないとのんびり聞こえてしまうこともある。ゆったりしたテンポで同じフレーズの2回目は聞く人が遅めに聞こえてしまう。そういった場合にメトロノームのように弾かず、若干早めることでインテンポのイメージとなる。

  ギタリストのジュリアンブリームのレコードによれば「アルハンブラの宮殿」の演奏を145くらいで弾き始め、転調してから152くらいで弾いている。