Notturno (Serenata) 夜曲 S.コペルティーニ

COPERTINI, Spartaco

 スパルタコ・コペルティーニ(Parma, 1879 .07.01– Firenze, 1952.07.11)はイタリアの音楽家、作曲家である。彼は1906年にパルマ大学の理数科を卒業したが、1905年からは従来のダイアトニックシステムとは異なる新しい和声の基本法則の研究を通じて、新しい音楽表現を探究した。パルマ音楽院でグイドアルベルトファノ(Guido Alberto Fano)とピツェッティ(Ildebrando Pizzetti.)に師事し、1908年に作曲科を卒業。1910年以降の室内楽、交響曲作品は、このときの新しい理論と研究に基づいている。この頃、コペルティーニは既に音楽評論家、エッセイストとして注目を集めていた。

新しい音楽の研究

 1911年にはパルマで新しいイタリアの音楽形式を確立するための音楽グループ「未来」をマリオ・シルヴァーニとともに設立。総合的芸術週刊誌「メデューサ」も創刊している。

1914年にフィレンツェ発行の音楽誌「不協和音」に「ピアノのための3つの小品op.73」を発表している。この3曲はその時代の前衛的代表作として、雑誌「不一致」(Dissonanza)にも紹介された。また、ラトビアのリガにあるイタリア文化研究所にピアニストのブルニョーリとともに招待されている。彼の研究はフランスやドイツの作曲理論に引用され、研究者から評価されている。

孤独な音楽家

 コペルティーニはパルマ音楽院で9年間(1913〜1922年)和声学を教えた後、フィレンツェに移り、ケルビーニ音楽院で作曲理論とソルフェージュの教授を務めた。しかし彼の作曲した交響曲と室内楽のほとんど、また10年以上にわたって取り組んだ3幕のオペラも未発表のままであった。1923年には国の音楽評論家となったが、1924年4月2日の新聞への記事が問題となり、批評家のポストを失った。その後、作曲活動も減っていった。コペルティーニは作曲家としての運がなく「孤独な音楽家」と呼ばれている。

 作品は合唱曲、オーケストラ、室内楽、ピアノ曲、オルガン曲など多岐にわたる。1943年の退官までフィレンツェの音楽院で教鞭をとっている。(尾崎譜庫の解説などを参照)

Notturno(Serenata)夜曲

 夜想曲とも呼ばれるNotturno (ノットルノ、ノックターン)は1905年に作曲したヴァイオリンとピアノのための曲をマンドリン4重奏曲用に編曲したもの。ミラノのイルプレットロ誌に発表され、その後1926年2月には合奏曲として再度掲載されている。ヴァイオリンとピアノ曲からの編曲ではあるが、各パートの和声と対位法が巧みに生かされ、マンドリン合奏曲としての完成度は高い。イルプレットロ誌はこの「セレナータ」をマンドリン・オーケストラ曲として再編曲することを予告しているが、未出版に終っている。

 武井守成はこの『Notturno』を「静夜を思わせる幽遠な旋律が各パートの強弱の交叉と相俟って、たとえようもなく美しい情景を描き出している」と評している。

 

演奏時間 約4分20秒