ボニータ

エドゥアルド・メッツァカーポ作曲

 エドゥアルド・メッツァカーポEdouardo Mezzacapo(1832-1898)はイタリア生まれのマンドリニスト・作曲家で、マンドリンの名手として知られている。 19世紀の終わりにバリに出てマンドリンの教授をし、多くのマンドリン曲を書いている。作品の多くはパリのRowies社から出版され、約60曲が知られている。

 マンドリン音楽は 19世紀初頭から衰退の傾向にあったが、1880年代から1920年代にかけて新たな人気を得て、マンドリンブームを引き起こしている。

 メッツァカーポは1901年に英国ロンドンを訪れ60人の婦人合奏団の指揮とマンドリンの教授をしている。 マルチェルリと共演したのはこの頃である。またE.M.Celliの ペンネームで多くの出版も手がけ、雑誌Sgallariはマンドリンの技術と芸術性を高めたといわれている。1901年にはスタインウェイホールなど多くの会場でリサイタルを開いた。6月のロイヤルアルバートホールでの演奏は大好評を博している。カルテットの演奏は録音技術が一般化する以前の1905年から1910年の間に録音されている。

 1912年には再びバリに帰り作曲家として、またアカデミー国際音楽院の教授、ロンバルド・エステュディアンティーナの指揮を務めた。 彼はまた、エコール・ド・マンドリン・フランセーズ(フランスのマンドリン・スクール)の創始者でもあった。

 メッツァカーポのマンドリン曲は日本とドイツで、広く人気となっていて、日本では「アンダンテとポロネーズ」が好んで演奏されている。(イタリア版Wikipediaなどを参照)

 

 ボニータ(スペイン語: bonita)

 ボニータは、スペイン語で「美しい」「かわいい」の意味。ボレロ(bolero)はスペイン起源のダンスまたは音楽。18世紀末に始まったもので、1780年頃に舞踊家セバスティアーノ・カレッソ(Sebastiano Carezo)が創作したともいわれている。3拍子で、元来は歌にカスタネットやギターでリズムをつけ、1人またはペアで踊るダンスだった。19世紀になるとヨーロッパ全体に広まった。(Wiki参照)