「ウィーン わが夢の街」Wien、du Stadt meiner Träume

ジーツィンスキー 作曲

ルドルフ・ジーツィンスキー (Rudolf Sieczyński 1879 - 1952) は、ウィーンの作曲家・文筆家。1914年に「カーレンベルクの丘から下りてきたとき、夕日に満ちたウィーンの景色を眺めていて歌が浮かび」作曲されたという「ウィーン我が夢の街」は作品番号1番 Op.1。
 
以下は鮫島有美子も歌っている、あらかは ひろし訳の歌詞
 
喜びも悲しみも みんなこのまちに  

夜でも昼でも 心のなぐさめ

誰にでも愛される わたしのふるさと

わたしの心は いつもこのまちに

遥かきこえてくる楽しい歌声

ウィーン ウィーン

お前は心のふるさとよ

古びたまちかど かわいい娘たち

ウィーン ウィーン

お前はわたしの夢のまち

幸せあふれる夢のまちウィーン

喜びは果てもなく 酒と女と歌

ほのぼのと朝日が 空を染めるまで

静かにふたりで愛を語るとき

いつの日かこの世に別れるその日

晴れわたる大空に この身は漂い

遥かに見おろすシュテファン寺院の

尖塔に永遠の別れを告げよう

遥かきこえてくる楽しい歌声

ウィーン ウィーン

お前は心のふるさとよ

古びたまちかど かわいい娘たち

ウィーン ウィーン

お前はわたしの夢のまち

幸せあふれる夢のまちウィーン

ワルツの調べに心ははずむ

遥かきこえてくる楽しい歌声

ウィーン ウィーン

お前は心のふるさとよ

古びたまちかど かわいい娘たち

ウィーン ウィーン

お前はわたしの夢のまち

 

幸せあふれる夢のまちウィーン

たかしまあきひこのマンドリンへの編曲がある。
 

この「ウィーン我が夢の街」はウィーンの人が自分の町を誇らしく歌うことが多い。。(歌の例
第2次大戦前夜、ドイツからユダヤ人を乗せた客船セントルイス号が第2の故郷を求めて旅する姿を描いた映画「さすらいの航海」の中でも歌われた。ウィーンを思う乗客の心にしみる歌として印象的。