リソルジメント(イタリアの復活)Risorgimento Italiano SINFONIA

G.アネリ Giuseppe Diego Anelli 作曲

アネリの生い立ち

 ジュゼッペ・アネリ Giuseppe Diego Anelli (1873年5月19日トリゴロ-1926年8月28日トリノ)はイタリア・クレモナ県のトリゴロに父アントニオ Antonio Anelli と母ジョヴァンナ・カブリーニ Giovanna Cabrini の9人姉妹の末っ子の長男として生まれた。父アントニオはV.Petrali の弟子で1848年に地元の聖ベネデット San Benedetto ミュージカル団体を設立した教区教会のオルガニストである。彼は教会へ礼拝に来ていて音楽に興味のある人達に教育を施した。この学校の活動からミュージカル団体が誕生し、1848年の年末に町の通りでパレードを行っている。

 ジュゼッペは最初、父から音楽の手ほどきを受け、その後ミラノに移って和声学、対位法、作曲法並びに管弦楽法を Saladino および Galli について学んだ。

 ジュセッペが18歳の1891年のクリスマスの朝に父アントニオが亡くなった。ジュゼッペはミラノでの音楽研究を終えて故郷に帰り、父のオルガニストおよび聖ベネデットソーシャルワーカーズミュージカルバンド( Banda Musicale Sociale Operaia “ San Benedetto ”)の指揮者を引き継いだが、学業も続け、ボローニアのプライベート学生として22歳で卒業証書を手に入れた。

 アネリはソーシャルワーカーズミュージカルバンドを熱心に指導し、内容を刷新して数多くの音楽コンクールへの参加を果たした。コンクールの合間には自作曲を演奏し、1897年から多くの栄誉と表彰を受けた。1901年にロディの吹奏楽コンテストでは3位に入賞し、1904年ブレシアの大会では彼が監督した30人のグループが優秀な成績を収めた。1906年にはブラスバンドの名称を聖ベネデットソーシャルワーカーズミュージックコープとした。

ジュセッペ・アネリの活躍

 同じ時期にアネリはクレモナ県ジェニボルタ Genivolta のジェニボルタ音楽隊(1902年)、ソレシーナのファンファーレサイクルCiclo Fanfara(1905年)を組織し、フィエスコでは合唱団を設立している。

 アネリの作曲は宗教曲、吹奏楽、オペラ、オペレッタ、プレクトラム曲、管弦楽などあらゆる種類の作品があり、2007年に評価を高めた。それらの曲の多くは国際的にも知られ、音楽出版社によって開催されたいくつもの大会で優勝している。1907年にカルマグノラ  Carmagnola で開催された指揮者コンテストに参加し、入賞した後にピエモンテの町の吹奏楽ディレクターに指名された。

 1908年から1923年の間にカルマグノラ、ブラ、カリニャーノ、ラコニージの吹奏楽団の指揮をした。フォッサノでは交響楽団を創設し指揮をし、クネオ県のパエサナとエンヴィーの団体でも指揮をしている。

 1916年にはパレルモの王立アルテメロドラムマティカ機関(音楽伴奏をともなう形式の芝居芸術機関)が主催する作曲コンクールで2年連続優勝した後、名門機関のアーティストパートナーに任命された。1924年にはサルッゾの自治体から依頼され地元の音楽学校を指揮し新しい市民楽団を結成した。アネリはイタリアだけでなく国外の音楽イベントに出席するために政府または審査員のメンバーとして呼ばれている。彼は1926年8月まで音楽の指導と作曲家としての仕事を続けたが、同月28日に53歳で突然亡くなった。

作品と賞

 アネリは生涯にわたる作曲としてオペラ3、オペレッタ2、パントマイム1、詩1、ポルカ24、子供の歌集1、ワルツ23、宗教曲1、器楽曲16、フィギュアダンス(ローマの田舎で広まったダンス)10、吹奏楽幻想曲3、葬送行進曲4、ブラスバンド行進曲35、ファンファーレ4、宗教的な行進曲5、マズルカ23、ハープの曲1などを残している。マンドリンのための作品は合奏曲を中心に56曲がトリノの雑誌イルマンドリーノなどで出版されている。

 獲得した賞では証明書16、黒檀の杖3、金の月桂樹の花輪1、騎士の王冠の十字架1、卒業証書47、表彰8、6つの金メダル、銀と2つの胴メダルを含む14のメダルがある。wikipedia、La nostra storia 私たちの歴史等参照

シンフォニア リソルジメント・イタリア Risorgimento Italiano SINFONIA(イタリアの復活)

 リソルジメント・イタリアはマンドリンの雑誌イル・マンドリーノ主催の第9回作曲コンクールで金賞を受賞し、高い評価を得た。この曲はオーストラリア、フランス、ドイツ、アメリカ、スイスでも多くの音楽イベントで発表されて成功裏に終わり、当時のプレクトラム音楽コンクールでの必須作品となっている。

 この曲は1814年にイタリア王国が崩壊した後、1820年頃のイタリア・カルボナーリ党の動乱から1870年のローマ占領まで、イタリアが近代国家として独立と統一を達成した政治的、文化的運動であるイタリア国家統一運動「リソルジメント」を題材に作曲したもの。写真はイタリア統一を称えたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。なお、ジュゼッペの父アントニオはクレモナのピッツィゲットーネにリソルジメントの真っただ中の1822年7月23日の生まれ。

リソルジメント Risorgimento の語源

 マンドリン関係では「イタリアの復活」と呼ばれているが、一般的には日本語でもリソルジメントのまま使われている。リソルジメントの語源はカミッロ・カヴールが発行した新聞『イル・リソルジメント』il Risorgimento である。この言葉はイタリア語でri + sorgere + mentoに分けることができる。それぞれ、再び、昇る(発生する、立ち上がる)、事( -mento は動作を名詞化する)を指し、リナシメント( rinascimento:ri + nascere + mento )、すなわちルネサンスの「再び、生まれる、事」に対応している。画像は1870年9月20日のローマ占領

 本邦ではこのリソルジメント(イタリアの復活)の他、シンフォニアロマンティカ Sinfonia romantica、イタリアの目覚め Risveglio italico,sinfonia、嬉しいとき悲しいとき Ore tristi e liete,preludio などが取り上げられている。

編成:第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター

演奏時間:約8分30秒