組曲 吟遊詩人 アメデオ・アマデイ作曲Suite Medioevale(Vate)  Op.335 編曲 中野二郎

 1.Corteggio

 2.Canzone del Paggio

 3.Idille

 4.Festa Nuzisle

 

図はジョングルールと呼ばれた中世の音楽家・吟遊詩人

吟遊詩人の概要

 吟遊詩人はアメデオ・アマデイ(Amedeo Amadei 1866年12月9日イタリア・ロレート~1935年6月16日トリノ)による1912年頃の作曲だが、アマデイの死後、娘のフェルラレーゼ・カルラから中野二郎に贈られ編曲された作品で、原曲は管弦楽曲である。1975年12月9日同志社大学マンドリンクラブの第87回定期演奏会で同志社大学創立100周年記念行事として京都会館第2ホールにて一部(第4楽章)が演奏され、1977年5月30日に大阪青少年会館で同じく同志社大学マンドリンクラブ第90回定期演奏会で1~4楽章初演となった。中野二郎の再版第10巻の2に掲載。

吟遊詩人の曲名

  吟遊詩人 Suite Medioevale は組曲・中世の、というだけで曲名に 吟遊詩人 がない。イタリア語で吟遊詩人を意味するのは menestrello 、詩人は Vate だが、邦題中世の吟遊詩人の原題がSuite Medioevale Vate だとすれば、Medioevaleの vale と vate が似ているので書き落としたのではないかと推測される。

吟遊詩人 各楽章の内容

曲は4楽章あり、中野二郎のマンドリン古典合奏曲集によれば各楽章の日本語訳は1.供奉 2.若き修道士の歌 3.牧歌 4.結婚祝典となっている。

 

  吟遊詩人は詩や曲を作り、各地を訪れて歌う人といった意味だが、中世ヨーロッパで十字軍に参加した騎士、托鉢修道会の僧侶、カンティンパンカ、ジョングルールなどが吟遊詩人と呼ばれている。アマデイは中世イタリアの、これら吟遊詩人を組曲に構成したと考えられる。

第1楽章 Corteggio 供奉

 供奉(ぐぶ)と訳されていて曲頭の発想記号がMarziale行進曲となっている。コルテッジオCorteggioは行進、儀仗、行列などの意。ローマ法王の名のもと十字軍に参加し、イスラムに奪われた聖地エルサレム奪回に向かう騎士Cavaliereと傭兵達の行進曲。ファンファーレが鳴り響き、勇壮に進んでいく。遠隔地の様子を音楽に乗せて語る吟遊詩人の発祥である。

第2楽章 Canzone del Paggio 若き修道士の歌

 パッジオ Paggio は一般に騎士見習いのことだが、若い修道士の事も指すようだ。宗教的束縛から自由を求めて修道院を出て行った托鉢修道会の僧侶や厳しい修道院の生活から逃げ出した放浪の修道士はラウダ lauda と呼ばれる宗教歌謡を歌いながら各地で布教活動をした、吟遊詩人の一種である。

 第3楽章 Idille 牧歌

 イディレ Idille は田園詩、牧歌、純愛などを意味する。曲想の指示 amoroso から愛の歌や愛の夢とも訳されている。16世紀頃までフィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリなどで活動したフラットラ frettola という素朴な詩歌を歌うカンティンパンカ Cantinpanca と呼ばれる民衆の吟遊詩人がいた。リュートを伴奏に歌う愛の歌。初版では Reves d'amour 愛の夢と表示されている。

第4楽章 Festa Nuzisle 結婚祝典

 低層階級出身の放浪の音楽師ジョングルール Jongleur は代表的な吟遊詩人だが、中世の後期には歌だけでなく、曲芸や奇術、動物使いなどの見世物芸も演じ、裕福な市民階級が主催する町の催事などで活動した。教会での結婚式の後に行われる家での披露宴にジョングルールが参加して、宴会の盛り上がる様子をあらわしている。初版では Epousailles ,結婚と表示。

 なおイタリアでの出版には神秘な巡邏とボレロが入って6楽章となっているが、現在では楽譜が失われている。中野譜庫での解説等を参照

演奏時間

 第1楽章 約2分50秒 第2楽章 約2分50秒 第3楽章 約3分10秒 第4楽章 約2分  計10分50秒

 第3楽章と第4楽章は続けて奏されることが多い。

中世ヨーロッパと吟遊詩人

現代の吟遊詩人

騎士と吟遊詩人

 中世ヨーロッパは戦争が絶えず、騎士達は各地に出向いていった。このため遠隔地での戦争の様子や有名な騎士の活躍などを音楽に乗せて語る吟遊詩人が発生する。また騎士道精神が生み出され、十字軍に関する歌をはじめ、女性賛美の思想、英雄賛歌、宮廷や教会など既成権威の批判、恋愛や酒など現世を謳歌する歌などが生まれた。イタリア以外の吟遊詩人では北フランスからドイツ各地に掛けてのゴリアールGoliardsと呼ばれた放浪の学僧達、北フランス及びイギリスで、貴族階級の音楽の担い手であったトルヴェールTrouvère、12世紀頃のドイツ・オーストリア圏において理念風の愛であるミンネを歌うミンネゼンガーMinnesängerなどが知られている。しかしながらウルバンⅡ世による1096年の第1回遠征から約200年続いた十字軍もアッコン要塞陥落でほぼ終了し、結局は成功しなかった。13世紀以降、騎士の没落と共に騎士文化を背景とする吟遊詩人は終わりを告げ、ジョングルールも吟遊詩人から旅芸人へと変節していった。 

写真は現代の吟遊詩人(カンティンパンカ?ヴェネツィアにて)

吟遊詩人とヨーロッパ音楽の発展

 なお、中世ヨーロッパの吟遊詩人達が語った物語であるアーサー王伝説、パルシヴァル、トリスタンとイゾルデ、ニーベルンゲンの歌やドイツの職人たちが詩人組合を作ってコンクールを行ったニュールンベルクのマイスタージンガーなど、その後のヨーロッパ音楽のベースになっており、中世の世俗音楽の発展は吟遊詩人と呼ばれる人達によるところが大きい。ワーグナーのオペラで有名なトリスタンとイゾルデの円卓の騎士は竪琴を抱えコーンウォールから来た吟遊詩人トリスタンであった。図はトリスタンとイゾルデの様子を窺うマルク王 エドモンド・レイトン画 中公文庫・世界の歴史3中世ヨーロッパ 堀米庸三編集等参照

アマデイに関しては「ミヌエットとガボッタ」を参照。