音の強弱 デュナーミク[Dynamics](英)[Dynamik](独)

表現の基本 音の構造

 一つの音、例えば4分音符を考えてみる。声や管楽器は4分音符の一定の長さだが、マンドリンの場合は4分音符1つに上下4ストローク、8つのアップダウンのトレモロが基本だ。

ピッキングの場合は1つだけの音で、ピアノと同様に弾いた後は減衰する。

この4分音符一つでも音の構造は図形のようにいくつかの種類がある。

  ある音量で弾き始めれば A のようになる。ゼロから柔らかくスタートすると B のように途中が膨らむ。大きな音で始めて小さく終る C、小さく始めて大きく終る D となる。A は一定の音量でテヌートのイメージ。B は1音でのレガート、C はディミヌエンドまたはスタッカート、D はクレッシェンド。スタッカートは E のように4分音符よりも短い場合もある。

 このように一つの音でも始めと途中と終わりがある。これは大きな構造でも同じ。マンドリンは何も指示しないと A のように一定に弾く人が多い。

 音の始めは音の性格をあらわし、途中は音の機能の発達、終わりは感情を表わす。

強いままで音を切ると圧迫感がある。ディミヌエンドで終ると柔らかい感じに、クレッシェンドで終ると興奮状態となる。曲の終わりも静かに終ると悲しみを表わしたりする。フォルテで終れば興奮状態で終る。演奏会も最後はフォルテで拍手をもらえるのが良いだろう。(齋藤秀雄講義録より)

 マンドリン族やギターの音量は管楽器や擦弦楽器と比較して小さく、マンドリンオーケストラの音量もレギュラーオーケストラ(管弦楽)やウィンドオーケストラ(吹奏楽)よりも格段に小さいため、ダイナミックの範囲も狭い。管楽器や打楽器を含む曲の場合はマンドリン族との音量バランスをよく考えないと音楽を壊してしまうことがある。
 撥弦楽器であるマンドリン族で無理に大きな音を出そうとすると楽音よりも雑音が増えてしまう。

強弱記号と音量
 強弱記号では通常、pp から ff まであり、記号が一つ変化するごとに音量は倍に変化すると言われているが、実際には音楽表現上の「強い」「弱い」ということで、絶対的な音量を表わしている訳ではない。

 初心者でpと書かれている部分は常に一定に弱く弾き、f部分は一定の強さで奏すると思っている人がいる。pと書かれていてもその部分のフレーズや曲の範囲が相対的に弱いのであって、メロディーであればその中でも当然抑揚がある。伴奏ではメロディパートとの関連でどのように抑揚をつけるかを決める。fの場合も同様である。fとフレーズの最初に書かれていてその後にクレッシェンドがあるのはfから更に ff に持っていくこともあるが、フレーズの始めは弱く入りその後にfにしていくのが通常だろう。

 

 ストコフスキーは音の大きさを物理的に表現した。それによれば
 ppp=20フォン pp=40 フォン p=55 フォン 

 mf=65 フォン f=75 フォン ff=85 フォン fff=95 フォン
となっている。

 実際にはオーケストラの編成、音の高さや個人の感じ方、演奏会場などの条件で異なる。また、f と ff は単に音量の違いだけではなく、緊張感の違いも含まれていると考えられる。f から ffは緊張感が増大するが同様に p から pp についても緊張感は増大する。緊張感が足りないとトレモロが遅くなる。

 また、楽曲がPの曲想の部分でのクレッシェンドはピアノの範囲(p-mp)に抑えるのが通常で、クレッシェンド記号があるとどこでもピアノからフォルテまで強くしてはいけない。

 また、mp は「やや弱く」mf は「やや強く」だが、比較の元になる「普通( Natural )」があるはずだ。「普通の音の強さ」とは曲目や曲の位置によっても異なり、演奏者にゆだねられていると思われる。

極端な強弱記号

 希に ppp、pppp やfff、ffff などの表示もあるが、マンドリン演奏においては強弱の少ない演奏が多いようだ。

 ちなみにチャイコフスキー の交響曲第6番ロ短調「悲愴」の第4楽章にはトロンボーンの ppppが、第一楽章にはファゴットに ppppp が出てくる。ただし、これを演奏するのはあまりにも難しいと、バスクラリネットで代用することが多いようだ。クラリネットはサブトーン、またはエコートーンといってリードの振動を舌で殺すことにより、ほとんど聞こえない音にすることができる。

 マンドリン系の楽器の強弱表現で pp など弱音を十分に出来ない奏者がいる。これは一般にピックの保持に力の入りすぎていることが原因となっている。最弱音を表現するにはピックを落とす直前程度まで軽く持たなければいけない。

 逆にフォルテを綺麗に出すには練習が必要だ。単に力任せに弾くとアタック音の雑音は増えるが大きな音は出ない。ヴァイオリンの場合だが「巨匠」と呼ばれるような人の近くで聞いた人は等しく「音が大きい」という。

 通常はピックをしっかり握り、ピックの位置はややスルポンティチェロでピックを深く当て、ボディーを響かせるように弾く。きれいな音を出そうと柔らかいピックを選ぶ団体が多くなっているが、やわらかいピックでfを出そうと思うと、かえってアタックの雑音が増える。トレモロの場合、ダウンは弦2本でアップは弦1本と、いわゆる平行奏法ができていない場合は単純に考えて3/4の音量になってしまう。また左手の押さえと右手のピックのタイミングが悪いと音を殺したり、雑音発生の原因となる。

カペレッティ「マンドリン賛歌フローラ」の始めの部分

 強弱記号が書いてあっても曲全体のイメージに合わせた強弱表現が必要だ。楽譜の例はアマデイの「白い蝶」の始めの部分。ff の指示となっているが、イタリアの白い蝶は日本のモンシロチョウに似たカボライアという蝶だ。この曲は小さな白い蝶がひらひらと飛ぶ様子を描写している。音は全体に大きくないほうが曲にふさわしい。最初の ff も mf くらいの感じで弾くのがいいだろう。(曲想設定例を参照

 メッツァカーポの「VISION」24小節目はマンドラがf だがその他のパートはppになっている。これを表示通りの音量差で演奏するとマンドラが出過ぎてバランスが崩れる。原曲はマンドリンとハープの2重奏なので編曲者か指揮者による「ここの部分は全体がppのなかでマンドラの動きが分かるように強調して欲しいとの」意図だと思われる。
 この曲はこのようなパートによる強弱の極端な差が何カ所か記されているが、同様の意味合いで演奏するのが良いだろう。強弱記号が1つ上がるのが2倍の音量であるならば、この場合ppとfは32倍の音量となり、不自然になる。記載通りの強弱で演奏をするべきではなく作者の意図を汲んで、実際に聴いてみて音量をコントロールする。また、楽譜は作曲者本人の書いたオリジナルに忠実なのか、後世の人や編曲者が追加した楽譜なのかも確認することが必要だろう。

 合奏練習の時に指揮者は極端に「2ndはそこのところf3っつだな」などということがある。練習の時の強弱をそのまま印刷されているのではないかと思われる楽譜もまれにあり、音楽的に不自然でないか判断する必要がある。

古い時代の強弱記号

 f やpなどの強弱記号やクレッシェンド、ディミヌンドが楽譜に表わされるようになったのはハイドンあたりからで、モーツァルトの時代にはまだ、一般的ではなかった。実際モーツァルトの楽譜にはfとpはあるが mf やクレッシェンドはほとんどない。ハイドンの楽譜にはクレッシェンド、デクレッシェンドが記載されていないが、実際の演奏では行われていたと思われる。ハイドンの楽譜に書かれているfはクレッシェンド、p はディミヌエンドで演奏するといいようだ。モーツァルトの場合も同様。楽譜に忠実な人達が演奏するにはfをp+クレッシェンド、pをデクレッシェンドにすると演奏しやすい。

クレッシェンド、デクレッシェンド(ディミヌエンド)

 強弱の変化にクレッシェンド、デクレッシェンド(ディミヌエンド)がある。クレッシェンドは<、デクレッシェンドは>の記号で表わすが、記号のある最初の音符で音量が段差的に変わり、すぐに大きく、または小さくなる傾向の演奏が多いようだ。ディミヌエンドを1小節間で行うのであれば、最初の1拍目の音量は前の音量と同じ程度からスタートし、直線的な変化ではなく、ゆったり変化させる感覚がちょうど良い。急激に音量を小さくするのは通常subito Pと書かれる。

劇的なクレシェンドは後半に急激に強くする、ドイツ古典的なクレッシェンドは直線的に強くするというように同じクレッシェンドでも曲によって使い分けるべきだろう。
齋藤秀夫はクレッシェンドを直線型、若草山型、富士山型、複式火山型(2段型)などと区分している。

 

フォーレの「夢の後に」の例だが、フランス式だとAのようになり、小唄風で軽い感じだ。実際の楽譜はBのような強弱表記だが、その通りに弾くとドイツ風になり、息がつまる感じになってしまう。上段1小節目は3段式複式火山型といえる。

 弾き方、表情の付け方で大きな違いとなる。

 クレッシェンド、デクレッシェンドは記号の場合と文字の場合がある。記号の場合は比較的短く、文字の場合は数小節にわたるなど長いことが多い。範囲が長い場合はその中に入っている細かい強弱、ニュアンスが失われるわけではないので2段型、3段型などを考えて表現する。

 また、演奏する曲を聴きに来た人の大部分が知っていると、雰囲気が良ければ「良い曲だ」と思う。ただ、クレッシェンドになるところが少ないと「弱い」と感じたり、pと思う部分がmpだと大きいと思ってしまう。これは強弱だけではなく速度に関しても同様。ちょっと違うやり方で演奏するとうまくいけば「楽しい」などとなる。知らない曲の場合は明瞭で分かりやすい表現にしないといけないだろう。

 良く訓練されていないアンサンブルではクレッシェンドは若草山型、デクレッシェンドは富士山型と、いずれも早すぎる場合が多い。直線的なクレッシェンド、デクレッシェンドでもクレッシェンドは富士山型、デクレッシェンドは若草山型のつもりで演奏するのが良い。楽譜に記号が書かれていると、そこから音量変化をしてしまうのが、その理由だが、変化の初めは通常、前の音量と同じレベルからスタートするのが基本。

 

 ピッキングの場合に音は減衰するだけでクレッシェンドは不可能であるが、クレッシェンドを考える事により次の音の緊張感が増え、クレッシェンドを感じることが出来、次の音の強さが適切になる。また、曲の最後がディミヌエンドの場合に音が完全に無くなったとしても静かに指を離すかパッと離すかで曲のイメージは変わる。ピックが弦から離れた後でも左手で弦をヴィブラートさせると多少音が伸び、繊細に終らせることが出来る。
 ピアノ演奏の指導をしている大竹道哉は“音のないところを感じさせる”“心の中の音と現実の音の関連を表現する”ことが大切だと言う。

デクレッシェンドとディミヌエンド

 デクレッシェンドとディミヌエンドはどちらも音をだんだん小さくするという指示だが、意味は若干違っている。
デクレッシェンドが単に“だんだん弱く”という意味なのに対し、ディミヌエンドは“弱くなってほしい。落ち着こう”という気持ちがプラスされる。弱くする終着がはっきりしている。

 2017年2月18日(土)のバッティストーニ指揮、東フィル、公募のアマチュア合唱団によるヴェルディ「レクイエム」は曲の始まりが PPP?で無音から徐々に音楽が始まり、全曲が終わる最後のデクレッシェンドは、消えた音が天に昇るような感覚で、時間で言えば1分くらい後に拍手が始まった。

 これは現実の音が無くなっても耳の奥に記憶の音が残っているためで、この音が無くなるまで音楽は終わらない。人によって記憶の音は10秒くらいの人もいれば30秒くらいの人もいるだろう。10秒くらいの人は20秒もすると「もう終わったのではないかと」ソワソワするかもしれない。演奏者は弾く音が無くなったからといって動いてはいけない。音楽の余韻を残すために自分も余韻を聴いていることが大切。バッティストーニは指揮棒を天に向かってあげたまま遠慮がちな拍手が始まるまで下ろさなかった。

アクセント

 全体的な強弱とは別にスフォルツァンド、アクセント、フォルテピアノといった音符の頭についている指示記号があるが、これらを使い分けることで演奏に変化が生まれる。多くのマンドリンアンサンブルの演奏が初めのアタアックの強いアクセントになっている。なお、ピッキングの場合にこれらの変化を付けることは困難で、トレモロの場合に限られる。

 また、曲想がpの範囲でのアクセントをあまり大きくfのアクセントにすると曲を壊してしまう。音楽の流れの中でアクセントの強弱を決めて表現する。

 基本的なアクセントのうち“>”は初めのアタックが強く、“sfz”は初めのアタックから多少遅れて最大の音量となり、“f p”では一定時間フォルテがありその後ピアノになる。マルカートは通常のアクセントより強く弾く。ゆっくり、かつ強弱の変化の少ないスフォルツァンドを”<>“と書かれることもあるが、表示方法はあまり一般的ではない。またアクセントがあると常にフォルテで弾く人がいる。アクセントは曲想に合わせて適切な強さで弾くべきだ。>と書いてあっても sf や fp のほうが適切と思われる場合もある。

フォーレのシシリエンヌ( Op.80,no.3 )に出てくる sf は長くゆっくりした<>のスフォルツァンドで奏されることが多い。
 ピアノで作曲した楽曲の場合にはアクセントの差をどのように考慮していたか明確でない場合もあり得る。 “>” と “˄” の違いや sfz、sf、fz などの違いをどのように表現するかは奏者の判断に任される。なおエレキギターでは「アタックタイム」で音の立ち上がりのコントロールが出来る。

  現代の作曲家は楽譜の指示に独自の工夫をしている人も多い。武満徹の雨の樹 素描(1982)には∧は強く、>は中くらい、∨は柔らかいアクセント、フェルマータも3種類で指示している。

  小学校で学んだ音楽では4拍子の1拍目は強く、3拍目が次に強い 強-弱-中強-弱 と教わっていた。確かに日本の歌のアクセントは始めに来ることは多いし、軍歌などはその通りだろう。(同期の桜)(譜面は木下忠司作詞作曲の「喜びも悲しみも幾年月」鮫島有美子の例。カラオケなどでは1拍目、3拍目にアクセントを付けて元気よく歌う人が多いようだ。ただ、歌手の若山彰はソフトに歌っている)

 しかし、ヨーロッパの音楽で始めにアクセントの来る曲は少ない。多くの古典音楽の場合、1拍目は決まって弱い音量だ。例えばチャイコフスキーの「四季」-12の性格的描写Op.37 6月「舟歌」のメロディーラインの最後の音や、その中の細かいフレーズの最後の音は、1拍目で終わる事がほとんどで、その1拍目は弱く、アクセントなど付けてはいけない。言語と音楽を参照下さい。

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